FC2ブログ
 
かんなののほほんぶろぐ♪ ~ひよっこ通訳の日々~
一人前の通訳者目指して奮闘中のひよっこ通訳がのほほんと綴ります♪
今となってはそれがイースター
毎年春ごろには、必ず卵やうさぎのチョコがはいった、バスケットを頂いていた。バスケットの取っ手が長くて大きくて、ラップで綺麗に包んであって、中にはぬいぐるみも入ってるものもあった。

それが何なのかはその頃はさっぱり知らなかった。その頃はキリストのキの字も、イースターのイの字も知らなかった。ただ春にもらえると『バスケットお菓子セット』がもらえる!と私は一人で喜んでいた。幼心に「チョコレートやたらあっまいなぁ・・・なんでこんなでかい卵なんだ?」などと思っていたくらいで。恐らく私の両親も私にきちんと説明できるほどは知らなかったのかも。特に母親はちんぷんかんぷんだったろうと思う。

今日はEaster Sunday。洗礼を受けてもう11年という月日が流れているが、最近の私は相変わらず教会への足は鈍りっぱなし。11年前のEaster Vigil (復活徹夜祭)で私も洗礼を受けた。今年も昨夜の典礼で洗礼式が行われ、多くの人がカトリックの洗礼を受けたのであろう。成人洗礼はこの時期に行われることが多いのだ。

やはりJesusの復活祭は一番重要な儀式だ。心静かに祈ろう。

Peace be with you!
スポンサーサイト



海外滞在年数とTOEICの点数は比例しない
とある知り合いと英語の話しになった。私に留学経験があることは知ってる人だが、「文法も得意なのでしょう?」と聞かれてかなり苦笑い。純ドメの人のほうがずっとしっかりした文法心得てると思うけど。

英語圏の滞在経験があるからといって、英語がうまくなるかというとそういうわけでもないし、みんながみんな長文読解や文法が得意かといったらそうでもないし、発音のよしあしだってだいぶ差が出てくる。

学校のクラスメートにそれほど長期で海外滞在経験があるわけではないけれど、綺麗な英語を話す人がいる。ほとんど国内の勉強で上がってきた人だと思うけど、その成果なのか、日英、英日ともにとってもわかりやすい訳出をする人でお手本にしてる。

私は過去2回受けたTOEICを受験したが、二回とも875点で、900点以上を獲得できていない。帰国直後とか、滞在期間に受験したらどうだったのかなぁ、と想像したりもする。多分900以上とれたかなぁ、と勝手に想像していたのだ、間違いだということに気づかされた。っというのが、この間アメリカ行ったときに元ルームメート(日本人)に会ったのだが、彼女もつい最近TOEICを受験したというのだ。点数聞いたら800点台後半だったかな。私と同じような点数だったはず。ちなみに、彼女は在米経験は15年以上で、だんな様はネイティブアメリカ人。え、○○ちゃんでも900いかなかったの?っとびっくりしたのだ。

彼女もListeningぜんぜん大丈夫だったけど、Readingがすごく大変だったって。これを聞いて、ある意味ほっとしたような(笑)、がっくりしたような。人によって差はあるとは思うけれど、やっぱり文法力とか読解力はある程度の勉強が必要なのかなと思った。

日本語だって、そういえば、普通に話し聞きできても、新聞読むだけの読解力とか、理解力とかってまた別だものなぁ。のほほんと日常生活送っているだけでは難しいってことなんだろう。

でも、TOEICの点数がとれるとかとれないとかよりも、自分が一番悲しいのは、帰国してから衰えたコミュニケーション力。ちょっとしたあいづちや、ぱっと反応する瞬発力とか。だからTOEICの点数が高くてもあまり嬉しくないかもしれないんだけど、同じような海外経験がそこそこある友達は、実際TOEICの点数はみんな900点以上とってるから私が単に出来が悪いんだけどさ(笑)。でも点数だけとってコミュニケーション力ともなってないような英語力はつけたくないし、でもやっぱ900点以上はとっておきたいし、どっちにしても頑張らなければ。文法とか長文読解できる力ももちろんつけなくてはいけないのだ

でもね。やっぱり自分が絶対失いたくないのは、英語をしゃべってますっていう力よりも、その相手と同化した雰囲気をかもしだせるかどうかかな。外見的にはどうしようも手の施しようはないのだが、特にアメリカ人の人と話しているときに、いかに違和感を感じさせず話すということ。「英語うまいですね」といかに言われないかがキー。うまい下手じゃななくて、それすらも感じさせない英語が本当はいんだよね。簡単に言えば単なるamerican-wannabe(笑)。アイデンティティの問題にかかわってくるんだけれど、あ、この人は同志だと感じさせることが本当は出来ていたいってどうしても思っちゃうんだよな。まあ実際は無理だけど、それでも近いものでいたい。でも実際アメリカに住んでいたときも結構難しいことであったから、帰国してからはもっと難しくなってるんだけど。
夕食招待の裏には
何度となく今日はだれだれさんが来るわよ、かれこれさんが来るわよ、という日が頻繁にあったわけだが、私はそのたびに憂鬱であった。なぜなら!日本の家屋は狭い!リビングを広く使おうとするとどうなるかというと・・・・。リビングにあるものをどかすしかない。どこに持っていくか。子ども部屋だ・・・・・・。

私にしてみれば両親が招待されて留守番になるほうが本当良かった。まあ一緒に行くことも多かったけど、大人オンリーの時は特に幼かったころは、一人ぼっちで留守番することも割とあった。そういうときは先に寝るわけだが、怖いTV番組などみてしまったときにゃ電気を消して眠れず、ありとあらゆる電気をつけっぱなしで寝たこともあり、両親が帰宅時「何事?」と思ったこともあったとか。

それはさておき、招待の日は朝から大忙し。私も手伝わされるわけだ。あれこれと自分の部屋がどんどん埋め尽くされていくのを・・・・。夕食の準備ももちろんある。あれむけ、これ切れ、それ持ってこい、買って来いなど。

あれこれやっていると必ず衝突が起きる。母が必ずどこかで発狂していた。父が仕方なく聞いているときもあれば、「○○○がこうしてっていったからやったんじゃないか!」と反抗することもある。私は間で聞きながら、『お客様を招待するって面倒くさいことなんだ。』と思ってた。

それでもお客様がいらっしゃる時間にはどうにか形にして、ピンポ~ン!とチャイムが鳴れば、Hello~~~~ xxxx!!! How are you? (はぐはぐ) Come on in! など言いつつ、笑顔を振りまくわけであって、こういうのをウチの顔と外の顔というわけか・・・などと何気に勉強したり・・。

しかしこの夕食招待のすったもんだは、どの国でも同じだということがあとで分かった。留学先でお世話になっていた家族も、日本勤務していたときから知っているのだが、よく人を招待する家。まあ本場ちゅうのもあるんかわからんが。家は日本と違ってでっかいから、私の両親みたいに子ども部屋に物を運ぶ作業はなかったけれども、MomとDadは私の両親と同じように、ああでもない、こうでもない、と衝突していた。そしてお客様が現れると、それまでのむくれ顔はどこへやら、特にMomは180度ものすごい変わりようだった。『あぁ、これって多分世界共通なんだなぁ。笑』なんて思った。横田の家に何度となく行ったときも、こういう裏事情があったわけなんだなぁ。なんてちょっとにやにやしてしまったり。まあでもっというより性格かもしれん。私の母もHost Momも共通点がある。二人ともかなりの「こうでなくちゃいけない!」という固定観念がものすごく強くてがちがちなのよねー。

違う点もあった。招待するお客様お客様、ほとんどアメリカ人なわけだが、みんな声がでかい!!!帰宅するおろはいいお時間。お酒もはいってお客様もいい気分。自然も声もいつも以上に大きくなる。しかし集合住宅に響き渡る異国の言葉。他の棟からは、「何事?」とカーテンを開けてみている人もいた・・・。私の両親、いや母親にとって大きな悩みであった。父親はお客様と一緒になって酔っ払って大声になっていたから・・・。
言葉が通じなくても遊べるっていったって・・・
先日のブログで言葉が通じなくても子ども同士は遊べたとは書いたものの、実は問題が生じたことがある。

っとあるフェスティバルかなにかに出かけたときのこと。いつものように、大人は大人同士で、子どもは子ども同士で遊んでいた。

私はお友達のTちゃんに何かを見せたくて、「こっち、こっち」と彼女をどこかに連れて行っていた。しかしある時点で、Tちゃんはなにやら困った表情を見せていた。後ろを振り返りながら、なにやら訴えていたのだが、英語がわからなかった私。何かを怖がっているのかと勘違いして、「大丈夫、大丈夫」って言って彼女を連れて行った。

あとで親のところに戻ると、Tちゃんはお母さんのところに何時までに戻るという約束があったらしいということを、自分の母親から知らされて怒られてしまった。その時間が迫っていたため、Tちゃんは戻ってきたかったのだが、私はTちゃんの訴えを全く理解できなかった。

ありゃ・・ごめんなさい。まあ、両方の母親も私に悪気があったわけじゃないのわかっていたので、その辺は考慮してくれたけど。やっぱり言語によるトラブルはあるわね。
わが母の英語との格闘
『英語とわたし』のテーマに絡んで、両親の英語とのかかわりというものも一緒にかいてみたいと思う。まずは母から。私の母は今でこそ英語は話せるが、かなりの年齢まで全く話せなかった。父と出会って結婚してから、仕事の関係で外国人と接しなくてはならず、諸外国のように夕食に招待したり、されたり、パーティーなどに行ったりしては、英語が話せず不慣れな場所で小さくなっていたと、後で話してくれた。父は全く優しくなくて(!)、そんな母などお構いなしだったので、母は自力で頑張るしかなかったそうだ。「パパってばひどいのよ!」っていってた。(確かにそんな父が想像つく・・・)

招待されれば招待もせねばならず、アメリカ人のお客様を家におよびしたわけだが、始めのうち、彼女は必死に台所で料理を作るばかりでリビングには出て来なかった。古風な日本の妻はそういう裏方の役割をするのが当たり前だったというのもあるが、アメリカ的夕食スタイルなど全くわかるはずもなかった母。しかも英語も一向に話せず、父からのヘルプもない環境で、どうしていいのかわからず、ひたすら台所にいた。しかし招かれたほうは一向に姿を見せない母を不審に思い、「○○○(母)は台所で一体どうしちゃったの?」と父に聞いたらしい。いやあ、かなり苦痛だっただろうなぁ。

母がきちんと英語の勉強を始めたのはおそらく20代後半か、もしくはもう30代だったはず。私が良く覚えているのは、NHKの英会話講座を開講から見ていたこと。マーシャがアシスタントで出ていて当時はかなりインパクトがあるなぁって幼心に思った。しかし家には何年分ものテキストが並んでいて私には邪魔だった。他には米軍基地で知り合った友人からプライベートレッスンを受けたりもしていた。アテネ・フランスに通っていたこともあるなぁ。はっと気づいたらそんなものに通っていた。まあその関係で私が初めて通った英語学校というのもアテネ・フランスだった。

レベルは普通に日常会話をする分には問題はない程度だと思う。英検やTOEICなどは受験したことがないと思う。多分受けてもそれほど高い得点がとれるわけでもないと思う。難しい単語などは分からないとおもうし、早いスピードの会話もあまり得意ではないようだ。よく昭和の白黒のテレビ番組で女性がしっとりとゆっくり口調で話す場面があるが、それと同じような感じで英語を話すのだ、彼女は。Host Dadとの電話はいつも出たがらない。Dadはスーパー早いし。手紙がきてもHost Momのかなり癖のある筆跡が苦手で私に読ませる。ってか私だってあの字は読みづらいんだけどなぁ(笑)。

まあでも母の強みは実は英語ではなくて、国内に根付いている。母や茶道の名取だ。着物のことも良く知っている。お花もお香も多少だが茶道に必要な程度にたしなむ。日本舞踊もやっていた。そういやえらい昔の話だけど琴もやってたなぁ。日本語も古い言い回しを良く知っている。要は日本の本来の姿をよく知っている人なのだ。そういう人は国外では特に重宝される。海外に生活したことがある人ならば、特にその大切さを痛感したことがあるであろう。日本人なのに日本のことを全く説明できないもどかしさ。

母の強みはそこだけにとどまらない。彼女は今でこそフランス語も少しできる。以前酒屋で仕事をしていた関係から、ワインに興味を持ち、いつのまにやらアドバイザーになっていた。私が留学している間のことだ。彼女はアメリカよりもヨーロッパを好みらしい。フランスやイタリアにいってもその知識でどんどん輪が広がっていく。わが母ながら天晴れ。まあ、彼女と私は、色々と考えの相違で常に争いが絶えない関係ではあるのだが、あの勤勉さとバイタリティは尊敬の念に値する。
わたしが初めて英語を話したのは
自分の英語の経歴を少しずつ書いてみようと思い、『英語とわたし』というテーマを作ってみた。まだどんな構想になるかは未定だけれど、アメリカ留学時代の話なんかもそのうち書きたいと思う。

まずは自分が生まれて初めて接した英語というものを考えてみよう。私が初めて耳にした英語は、おそらく自分の父が話したものだ。父はどうやって英語を習得したのは聞いたことがないが、物心ついた頃には、時折私に英語で話しかけてきたのを覚えてる。もちろん幼い私でも理解できるような、かなり簡単なものだけで、しかも私は日本語しか話さなかったし、正直うざいなぁと思っていたのだが・・。(NHK連続テレビ小説の『オードリー』みたいな父子だったら格好よかったかも?笑)そのうち父の英語暦ってのを聞いてみよう。あ、そういえば今日は父の誕生日だ。

初めて英語を話したのは、いつなんだろう。母いわく、まだ幼稚園にも行かないころ、教育TVの番組みていたと思ったら、Hello. I am a girl. Are you a boy?と父に尋ね、両親を驚かしたらしいが、私は全く覚えがない。まあこんなのは誰しも経験あるだろう。私にとっても、単に親ばか度を高めた、いち思い出話にしかなってない・・・笑。

今時の子どものように、英語教室みたいなのには通わなかった。いや、というよりなかったんだろう。まだ英語教育は盛んではなかったし、幼稚園の頃に住んでいた場所はかなりの僻地だったし、音楽教室に通うだけでも、片道2時間以上かけていたようなところだったから。

私の家族はちょっとだけ国際的で、父の関係で、米軍の方とのお付き合いがおおい家族だった。頻繁に家にアメリカ人の家族が遊びに来ていたし、私たち家族も招待を受けたりしていた。彼らの子どもは大体同じくらいの子達だったので、一緒に遊んでいたが、英語なんて話した覚えが全くない。子どもは言葉なんか通じなくても遊べた。

私の両親も、『留学』という二文字を早い段階からからちらつかせていたものの、無理やり私に英語を教えるような事はしなかった。ん~いや、私にその気がなくて、全くそんなことを無視してのかもしれない。

でも何気に電話にでたら、「Hello~ ○○~○?(母の名前)」なんてこともよくあって、「うわ、うわ!英語!英語!」とあわてる羽目になるので、"Just moment, please."を教えてもらって、どうにか言うようにはなった。

初めての英語の歌は父から教わった。『ドレミの歌』。確かサウンド・オフ・ミュージックをみて、教えてとせがんだような覚えがある。でもカタカナのまま覚えた。一応歌詞の意味は教えてはもらってたが・・・。ラーアノトフォロソーが、「ラはソの次の音」って意味だといわれたときには、『なんて怠けた歌詞なんだ』と思った覚えが。

で、自らが英語を話したい!と思って英語らしき英語話してみたのは、一体いつだったのか?自分が明確に覚えているのは、小学校の4、5年くらいのときの事。いつもは言葉が通じなくても遊べていたアメリカ人のお友達に、あるとき私は自分の意志をはっきり伝えたいと思ったのだ。内容はなんだったかは忘れてしまったが。ともかく母親に教えてもらって、聞こえるがままにカタカナ読みで文章を丸覚えし、いざそれを同い年のお友達にトライ!

※%・・&@#・・・$★→△∴¥*??

(よっしゃ、言い切ったぞ!!)
しかし、おともだちは、キョトン。

※・・%&@#・・・$★→△・・∴¥*??

(もう一回いってみた!)
おともだちは、非常~~に困った顔してる。(・・;)

悲しいことに全く通じなかった。彼女は眉をひそめながらも、一生懸命私のつたない英語ともいえない英語を聞き取ろうとしたけれど、どうにも理解不可能だったようで、結局「かんなは何をいっているの?」と言いたげな表情を私の母に向けた。結局母が笑いながら私の言いたいことを彼女に伝えてくれた。

タイムマシンがあったら、そのときに戻って自分のその英語を実際聞いてみたい。一体どんな話し方をしていたんだろう。もう聞くに堪えないんだろうな。英語のえの字でもないんだろうな。

そう考えると、私の主人に英語を教えるのももっと優しくできるような気がしてきた・・・笑

さて、今日のお天気はどうなんだろうか。テニスしよう!って意気込んでるときに限って最近天候に恵まれません・・・悲

ability of your eyes!?
今思い出すとなんだそりゃ、と思うような英語を言ってしまった経験は誰しもあると思います。私も沢山あるけど、その一つがこれ。予想はつくと思うけど、『視力』です。(^_^;)
(正解はeyesightとかvisionですヨー。)

渡米して数ヶ月の頃、まだ英語もたどたどしくて、視力なんて言葉を知るはずもなかった・・・。始めてアメリカで迎えた冬、家族の友人の息子がアラスカの大学から冬休みで帰ってきてるとのことで、一緒に遊んだのです。どういうシチュエーションでそんな話になったのか忘れちゃったけど、彼は結構目が良くて、多分遠くの何かが見えたかなんかして、「視力はいくつ?」ってききたかったんです。でも視力がわからず、とっさに出たのが、"What is the ability of your eyes?"

ぷぷぷ・・・。もー我ながら、腹抱えてまじ笑っちゃいます!
ギャハハハ!!(*`▽´*)

彼も私の言いたい事の意味はわかったものの、面白かったみたいで、かなぁ~り受けてました。ひぃ、恥ずかしい。

で、彼の視力はいくつだったかというと、こう答えてくれました。
"I have perfect vision. Twenty-twenty (20/20)."
は??にじゅぅ?なんだそりゃ?2.0で two point zero じゃないの?

ってなわけで、日本と米国の視力の違いを学びました。アメリカでは、20フィートでみえるべきものが20フィートでみえる視力をtwenty-twentyと表すんだよ、と説明してくれました。Perfect visionとかnormal visionといいます。あとで分かったことですが、日本でいう1.0です。 20/10の人は10フィートで見えるとされているものが、20フィートでみえる、ということで、よい視力の持ち主になり(日本の2.0)、逆に20/100は、100フィートで見えるべきものが、20フィートでないと見えないわけですから、悪い視力(日本の0.2)となります。

※参考
米国では分数視力(fractional visual acuity)
日本では小数視力(desimal visual acuity)
という方式が用いられています。